吉永小百合
吉永小百合(よしながさゆり)は、日本の女性俳優、歌手である。
本名岡田小百合(旧姓吉永)
生年月日1945年3月13日 身長155 cm
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父と娘の歌
高名なピアニスト江戸基次がヨーロッパから帰国した日、卓紘子は阿川に連れられて羽田空港まで江戸に会いにいった。音楽担当記者である阿川は杏子を江戸に紹介し、うまくいったら江戸門下に弟子入りさせようとしたのだったが、この計画は江戸のあまりの多忙に邪魔されて失敗におわってしまった。 来春、音楽大学ピアノ科に入学を目指す椅子は、自分の家にピアノがないので、毎日アルバイトのひまをみては高校の先輩である阿川の家にいってピアノを弾かせてもらっていた。阿川は紘子が好きだったし、なによりも彼女の努力に敬服していた。それで紘子の才能をなんとかしてのばしてやりたいと考えていのだった。 紘子の父道一はかって交響楽団のクラリネット奏者だったが、いまでは米軍キャンプ相手の小さな楽団の一員におちぶれてしまっていた。そのうえ最近心臓を悪くし、医者からとうとうクラリネットの演奏を禁止されてしまった。 道一は仕方なく楽団をやめた。しかし、紘子には一言もしゃべらず、毎朝出勤するようにみせかけていた。紘子が音楽大学に入ることは彼のただ一つの夢であり、また亡き妻の望みでもあった。ここで紘子の気持をくじきたくなかったのである。 父の病気も知らず、杏子は音楽大学の入学金をためるためにせっせとアルバイトをした。デパートの売り子のあとはベビーシッターを自分で考え出し、高校の放課後に近くの団地にいって子守りをしたが、それもなるだけピアノのある家をねらうという徹底ぶり。その猛勉強の甲斐あってやがて阿川の尽力で、一週に一度江戸基次の家でレッスンを受けることができるようになった。 だが、その嬉しさも束の間、立川キャンプまで出かけていった紘子は、道一の同僚の吉行から父がとっくの昔に楽団をやめて工場づとめをしていることを聞いて愕然とした。その夜帰ってきた道一は卒直に娘にあやまった。裏切られた悲しみにふさいでいた紘子も、父の本心を知り、その薬が慈子を思えばこその苦しい努力だったとわかった。「下手な芝居をしちゃったな、毎日ク ラリネットさげてでかけて」「とても上手だったわ、私、いままですっかり欺されてたんですもの」そういって笑う父と娘の間には、ほのぼのとした情愛が立ちこめていた。 紘子は翌日すぐ心臓外科で有名な大学病院へいき、治療にはドイツの新薬の注射が一番いいことをたしかめた。だが月に八千円もする高価な薬を買うのは、父のいまの働きでは無理だった。かといって道一は娘の援助をやすやすと受ける人ではなかった。そこで一計を案じた紘子は母の形見の指輪を質に入れ、それにアルバイトでためた五千円たして、吉行の手からパンド・マン全員の好意というかたちで父に渡してもらった。 入学資金を父の治療費にまわしてしまった松子は、一時は入学を断念しかかったが、吉行にはげまされてナイト・クラブでジャズを弾くようになった。自然、学校も江戸のレッスンもおろそかになり、道一や阿川を心配させることになった。レッスン中に江戸から練習不足を鋭くつかれ、「安易な気持ならビアノを止める」とまでいわれたとき、はじめて紘子の自信はぐらついた。 だが、紘子は開をくいしばって頑張った。阿川の強いはげましと、そして幼い日に母がいった「世界一のピアニストになるのよ」という言葉を胸にー。 翌年の春、杏子は入学試験にパス、音楽大学ピアノ科に入った。しかし相変らずアルバイトはつづけなければならなかった。 授業、レッスン、それに二つのアルバイト。紘子のきびしい生活ぶりは、女子寮という団体生活には無理があった。同じ部屋の曾野や三浦は、紘子が自分のことしか考えないといって非難するようになったが、声楽科の山口だけは紘子の立ち場をよく理解してくれた。 そのうちに紘子にまたとないチャンスがめぐってきた。毎朝新聞主催のコンクールで杏子は決選にすすみ、ショパンの「幻想ポロネーズ」を立派に弾きこなしてみごと俊勝したのである。俊勝の報せに阿川も吉行る飛びあがって喜んだ。が、道一はなぜか考え込んでしまうのだった。 翌日、道一は江戸を訪ねた。そして、自分の秘密を江戸に告白した。道一ほ江戸の先輩で、かっては国際交響楽団の団買だったが、盗難事件で濡れぎぬを着せられ、それがもとで檜舞台を去ることになったのだった。しかしまだ犯人の汚名は残っていた。その道一の汚名が、もし娘の紘子の将来を傷つけでもしたらーー。そう道一は心配してのだった。恥をしのんで娘のことを心配する父親の裸の姿に江戸は心を打たれた。 紘子は新春に東洋フィルでピアノ・コンチェルトを弾くことに決まった。クリスマス・パーティーで梁のみんなが楽しんでいる間紘子は惜しんで練習にはげんだ。紘子にとってはじめての檜舞台、人生の門出の日のためにーー。だが、ある朝、紘子は重大な過失を犯してしまった。寒さで手がすべって左小指をピアノの蓋にはさんでしまったのだ。レントゲン検査の結果、指にはヒビが入っていた。 練習も、アルバイトもできず、授業料は滞納し、演奏会の期日も迫って、紘子が焦燥と不安のどん底におちこんでいたころ、阿川は紘子を毎日のように勇気づけ、アルバイトに写譜の仕事を持ってきてくれた。そのおかげでどうやら授業科目納められ、指の傷も回復して、紘子は次第に明るい表情を取り戻していった。 ふたたび紘子は猛練習に打ちこんだ。−−そんなある日紘子が久しぶりに道一のアパートにいくと、押入れに紘子が写した楽譜が山と積まれていた。写譜のアルバイトは父の仕業だったのである。思わず粒子の顔に後笑みが、そして暖かい涙がこみあげてくるのだった。 やがて、東洋フィルハーモニー交響楽団の初練習の日、ピアノの前に坐った紘子は楽団員の中にクラリネットを持った父の姿を発見してびっくりした。
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明日は咲こう花咲こう
週刊毎朝の記者浜野新樹は恋人の小日山ひろ子からの手紙を読んで驚いた。彼に黙っていつの間にかひろ子が保健婦として僻村に赴任していたからである。しかその途方こないひろ子の決意が、新樹との議論の結果だと知って新樹は呆然、すぐ休暇をとって姫虎村へと向った。 若者らしく精いっぱい生きてみたい、そうひろ子は日頃から考えつめていた。だからその考えを実行に踏みきって姫虎村にやってきたとき、彼女の胸はあふれんばかりの情熱と期待に燃えていた。 着いたばかりの晩に夜這いされたり、保健婦を敵視する産婆の大竹ばあさんに厭味をいわれたり、そのうえ村長のひきいる観光派と助役の合併派とのみにくい勢力争いに捲き込まれて、落任早々いやなことがつづいたが、ひろ子はくじけず、村の衛生管理や疫病予防に甲斐々々しく動きまわった。 村の状態はひろ子が考えていた以上にひどかった。飲料水用の細流で公然と洗濯や野菜洗いをするし、病気の幼児に薬もあたえずコンコリ敦のまじない札をのます始末。ひろ子は早速細流に区分をもうけ、幼児を収容して適切な治療を与えた。 ところがこのひろ子の当然の処置に村人たちは感謝するどころか猛然と反対し、診療所に押しかけてひろ子を盗っ人呼ばわりするほど。さすがのひろ子も困って有賀医師に助けを求めたが、すでに村人たちの無智ぶりに見きりをつけ医師としての情然すら失いかけていた有翼は、投げやりな密度でさっさと幼児を返してしまった。 「この村から無智と貧困を追いださない限り解決はないんだ」有賀のそういった言葉と、ひろ子を取り巻いた村人たちの将悪の眼差しは、ひろ子の情熱と自信をいっべんに崩してしまった。 新樹が迎虎村に着いたときは丁度こんなときだった。ひろ子の涙をみて新樹はすぐ帰京するようにすすめたが、ひろ子の意志は意外に固かった。「適当に働いて、適当に好きになって、適当に生きていく。それがいやなのよ。……あたしやっぱり、この村にいるわ」仕方なく新厨はひとり東京へ帰った。 翌日からまた、ひろ子は元気に働きだした。コンコリ教の教祖の脅迫しみた説教や、村人たちの白眼視に耐えて……。飲本助役の家で畜生同然のひどい扱いを受けていた孤児のタクミがひろ子になついて、ひろ子とともに寝起きするようになったことが、暗い状況の中で彼女の心を明るくした。 コンコリ教を使って村人たちの票を集めようとしていた合併派の藪本助役にとっひろ子の活動は邪魔になった。そこで藪本は教祖と奸策をねって、ひろ子に産児外限の購集会を開くように命令した。いくら気が強くても若い娘に人前でセックスは話せないだろう、もし出来ないと泣き込んできたらひろ子を合併派に抱き込む、それが藪本の黒い腹だったのだ。その卑劣なたくらみを鼓本の甥でひろ子に惚れている松干代から聞き知ったひろ子は、敢然として引き受けた。顔を赤らめながらも毎夜幻灯と首っぴきで受胎調節の勉強をし、当日、まなじりを決して会場に、乗り込んだまではよかったが、ひやかしに集まった大勢の男たちの前に立ったとたん、急にガタガタふるえだしてあわや講演不能。しかし丁度そのとき、姫虎村出身の人気歌手三世明が帰ってきたのでその騒ぎに講習は中止となり、ひろ子はホッと胸をなでおろした。 明が地方公演の途中で遊虎村に寄ったのは従兄弟で仲良しだった塩谷村長の息子今朝男に会って、上京をすすめるためだった。しかし、久し振りに会った今朝男はなぜか明に突っかかるような態度を示し、気まずく喧嘩別れをしてしまった。今朝男は成功したのといつら比較されるために、劣等感からすっかりひねくれ者になっていたのだった。 村人たちのあまりの無智にむしゃくしゃしていたひろ子は、スポーツカーで細流わきの路を突っ走っていた明に、砂ぼこりが細流に入ると八ッ当りしたあと、急に姫虎村に厭気がさして、その夜、保健婦学院の同窓会が行われている野猿湖にさっさと行ってしまった。 だが、楽しいはずのパーティに参加してもひろ子の心は晴れなかった。物思いに沈んでいるそんなひろ子を心配した親友の美代子が新樹に連絡、新樹も取材を蹴って野猿湖に向かったが、新樹が着く前に姫虎村からひろ子あてに、いそぎ帰村をうながす電報がとどき、彼女は即座に村へ帰った。 電報を打ったのは今朝男だった。タクミがすごい下痢をし血便をだしたので、ひろ子を呼んだのだった。容態をみたひろ子は赤痢と直感、すぐタクミを診療所に運ぶとともに同じ症状の村の子供たちも収容し有賀医師の診断を待った。ところが、集団赤痢発生によって責任を問われることを怖れた塩谷村長や支本助役ら村の幹部は、有資を脅迫して口をふさいでいた。その上村の電話線を切断して宮野市の保健所への連絡を不可能にするとともに、教祖がただの下痢だと村人たちにふれまわったために、赤痢の処置をしたひろ子の行動はかえって村人の反感を買った。しかも、頼む有賀が脅迫に屈して村人の前で赤痢ではないと公言したため、ひろ子は窮地に立った。だが、授転をきかしたひろ子は、急に主張をひるがえして有賀医師とともに大腸カタルの治療をするふりをして赤病患者の治療と愛延予防の処置を行い、丁度そこへきた新樹も協力、また今朝男と明が保健所への連絡を買ってでて、それぞれバイクとスポーツカーで宮野市へすっ飛んだ。 その夜、宮野市から救援隊が到着、その迅速な防疫活動の甲斐あって一人の死亡者となくおわったとき、村人たちは初めてひろ子の献身を知り感謝の念にひたった。 この騒ぎを機に塩谷村長と姦本助役は和解、コンコリ教祖は追放され、有賀医師も情熱を取り戻し、村はすっかり明るくなった。が、そんなある日突然ひろ子は予想もしなかった免職通知を受け取った。教祖のさしがねで村人のひとりがひろ子を助産活動をしたと違法行為で訴えていたのだった。
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最高の人生の見つけ方
家庭のために生きてきた幸枝と、会社のために生きてきたマ子。全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は余命宣告を受けたことだと知る。主婦業と仕事以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた幸枝とマ子は、たまたま手にした12歳の少女の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。今までの自分なら絶対にやらないことに、自ら殻を破って飛び込む2人。初めて知った生きる喜びに輝く2人は、家族や周囲のものたち、さらには旅先で出会った人々も巻き込み、彼らの人生さえも変えていく―。
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まぼろしの邪馬台国
昭和31年、博多。ある日、全盲でありながら島原鉄道の社長であり郷土研究家でもある宮ア康平が行方不明になり、無事発見されるが、「わが郷土、島原は遺跡の上に出来た町」と、神がかりなことを言い出す。復旧作業が始まると、次々と土器が発掘される。しかし、康平の解任によって雲仙観光バスは廃止。バスガールの長浜和子も島原を去ることになるが、駅で和子を待っていたのは康平だった。こうして、康平の妻として、和子の新しい生活が始まった。それは目の見えない康平の代わりに和子が魏志倭人伝などを読んで聞かせ、康平がそれを読み解き、"まぼろしの邪馬台国"の場所を探すという共同作業だった・・・
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映画「ふしぎな岬の物語」
【TBS Pictures】のどかな太陽と海に抱かれて、独特の時間が流れる岬村。その岬の先端で、静かに佇む「岬カフェ」。どこか懐かしさの漂うこのカフェで、何より人々を和ませるのは、店主・柏木悦子(吉永小百合)が丁寧にいれた心づくしのコーヒーだ。悦子の祈りを込めた一杯は、カフェに集う人たちを元気づけた。悦子をこの地へと導いたのは、今は亡き最愛の夫。スケッチ旅行で偶然訪れた岬で、美しい虹と出会った夫は、虹の絵を悦子に遺した。ひとりぼっちになった悦子は、虹をつかむような気持ちで虹の岬に移り住んだのだった。 みんなで喜びを持ち寄り、悲しみを分かち合う・・・。そんな穏やかな日々がいつまでも続くことを願う岬村の人たちに、荒波が押し寄せる。悦子への思慕に戸惑う甥の浩司(阿部寛)。大阪への転勤が決まった常連客のタニさん(笑福亭鶴瓶)。徳さん(笹野高史)との別れの時が近づき、積年の親不孝を悔いるみどり(竹内結子)。そして悦子を見守ってきた虹の絵も、カフェからなくなってしまう。大切なものが次々と去り、悦子は再び寂しさに襲われる。さらに追い打ちをかけるように、岬カフェが炎に包まれて・・・。
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おはん
女流作家・宇野千代の代表作を市川崑監督、吉永小百合主演で映像化。別れた妻と芸者の間で揺れ動く甲斐性なしの中年男の姿を親子の情愛を絡めて描く、大人の愛の物語。大正時代の関西の田舎町。しがない古物店を営む幸吉は、馴染みの芸者・おかよの家に身を寄せている。おかよと懇意になり、家を去った幸吉だったが、ある日、妻のおはんと再会。息子がいると聞かされて、家族三人でやり直そうとするが…。おはん役の吉永小百合とおかよ役の大原麗子の"競艶"が実現。
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つる 鶴
鶴の化身が自分を救った男の嫁となり、自分の羽で布を織るという民話「鶴の恩返し」を名匠・市川崑演出で描いた美しくも哀しい愛のドラマ。実写として初の映画化で、吉永小百合の映画出演100本目の記念作であり、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞作品である。舞台で活躍する野田秀樹が映画初出演にして吉永の相手役に抜擢された。ある雪の夜、貧しい百姓・大寿の家につるという名の美しい女が訪ねて来た。大寿の嫁になるのだという。つるはある日、大寿の妻・由良が使っていた機織り道具を見つけて機を織ってみたいと言うが・・・。
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雨の中に消えて
女子大生の川路あや子(吉永小百合)、雑誌社に勤める江原たか子(笹森礼子)、洋裁学校に通う桑田きみえ(十朱幸代)の三人は合理性をモットーに共同生活をしている。三人は自由奔放な同居生活を営みながらもそれぞれこれから歩むべく道を見据えていた。そしてそれぞれ想いを寄せる男性がいた。あや子は同じ大学に通う栄吉(高橋英樹)に、たか子は仕事で知り合った高畠(下元勉)に、きみえは高校時代の雪山のロマンチックな幻想と教師・渡部(山田吾一)に。淡い想いと現実の狭間に激しく揺れ動く、あや子、たか子、きみえだったが・・・。
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あゝひめゆりの塔
太平洋戦争末期の沖縄を舞台に、吉永小百合と浜田光夫の黄金コンビで" 特志看護婦 "として戦火に散華した 、" ひめゆり部隊 "の乙女の悲劇を涙と感動で綴った一大青春譜。幾度となく映画化された"ひめゆりの悲劇"の中でもひときわ異彩を放つ、ダイナミックな演出が映える傑作。冒頭とラストには1968年当時の若者風俗を織り込み、そこから戦時中を回想していく構成になっている。
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吉永小百合の写真集
吉永小百合プロマイド写真集 永遠の輝き
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吉永小百合のDVD
最高の人生の見つけ方
家庭のために生きてきた幸枝と、会社のために生きてきたマ子。全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は余命宣告を受けたことだと知る。主婦業と仕事以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた幸枝とマ子は、たまたま手にした12歳の少女の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。今までの自分なら絶対にやらないことに、自ら殻を破って飛び込む2人。初めて知った生きる喜びに輝く2人は、家族や周囲のものたち、さらには旅先で出会った人々も巻き込み、彼らの人生さえも変えていく―。
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母と暮せば
山田洋二監督・脚本、吉永小百合、二宮和也主演で贈る母と息子の愛情を描くドラマ。1948年の長崎で助産婦をして暮らす伸子。彼女の前に3年前に原爆で亡くしたはずの息子・浩二が現れる。その日から浩二は度々伸子の前に姿を見せるようになり…。
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おとうと
山田洋次監督、吉永小百合、笑福亭鶴瓶主演で描いた感動の家族ドラマ。東京で薬局を営む吟子は、女手ひとつで育ててきた娘・小春の結婚式を控え幸せな日々を送っていたが、弟の帰郷で騒動が始まる。
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吉永小百合 私の生き方
今、出演する映画でつねに主役をはる俳優が、吉永小百合さんその人。
山田洋次監督は、「高倉健さん亡きあと、小百合さんは『最後のスター』になってしまった。素敵な女優さんはいるけど、小百合さんは別格の存在」と評します。
なぜ、密着取材を引き受けたのかと問われて、吉永さんは笑顔でこう答えました。
「いつ死ぬかわからないから、撮っていただいて幸せでした――」
121本目にあたる出演映画の制作現場に初めてカメラが入、そこで吉永さんが見せてくれたのは、他人を演じるという俳優の得がたい特権と、そのための挑戦
今「自分に正直に生きたい。難しいことはありますけど、悔いはなくなりますね」と述べる吉永さんのその生き方は、豊かな人生に欠かせない秘訣でもあります。そんな名言も飛び出すインタビューでは、放送では紹介しきれなかった、樹木希林さんとの友情、年齢の受け止め方などなど、その素顔と潔い生き方が文字に鮮やかに刻まれています。
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ヒロシマの風 伝えたい、原爆のこと
小学四年生のみどり。おばあちゃんの病気をきっかけに、原爆のことを考えはじめるが……。現代の小学生の目線で原爆を追体験する書き下ろしストーリーと、実際に原爆を体験した人たちが作った原爆詩20編を収録。【小学中級から ★★】
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ナガサキの命 伝えたい、原爆のこと
1945年8月9日、一発の原子爆弾によって長崎の町は廃墟となり、たくさんの命が炎に焼かれました。3歳で実際に原爆を体験した筒井茅乃さん作「娘よ、ここが長崎です」の物語ほか、原爆詩6編と手記2編を収録。【小学中級から ★★】
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夢の続き
日活映画の素晴らしい共演者たちと『キューポラのある街』への深い思い。原点となったラジオとの縁。『動乱』から『北のカナリアたち』へと続く北の大地での映画出演。ラグビー、乗馬、水泳など趣味のスポーツ。原爆詩朗読に込めた平和への祈り。先輩たちとの交流。手紙の思い出。母のかたみをはじめとする大切なきものがたり――。時代の風を受けながら、トップを走り続ける女優の今を綴るフォトエッセイ集。
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